地球庵的自己否定解放  

 

 生きるのが、辛くて辛くてどうしようもない人。
 胸がしめつけられ、息がつまり、はき気がするほど、

 生きることが苦しい人・・・。

 「生きていたくない・・・ 」
 「死んで楽になりたい・・・ 」
 「なぜ、こんな思いをしてまで生きなければならない?」
 「なぜ死んではいけない?」
 「生きるのなんか、もうたくさんだ!」

 いまの社会では、このような思いに苦しんでいる人が、とても多いのではないでしょうか? それは、自殺をする人が増えていることからも、明らかなように思えます。
 このように、生きることを否定し、自分の存在価値を否定してしまうことを、私は「自己否定」と呼んでいます。

 私も以前は、自己否定に取りつかれて苦しんでいました。
 自殺を決行するほどの勇気はありませんでしたが、「死んで楽になりたい・・・ 」と、思ったことは何度もありました。

本当に、毎日が地獄のようでした。
 そのときの私の気持ちを、今ここで思い出してみると、だいたい次のようだったと思います。

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 ・・・私には、生きる価値がないし、生きる資格もありません。
 生きる楽しみもないし、生きる希望も、生きる目的もありません。
 私が生きていることは、只々みんなに迷惑をかけるだけで、

 たいへん申し訳なく思っています。
 自分でもしっかりしなければと思うのですが、どうしてもだめなのです。
 生きることが、辛くて、辛くて、どうしようもありません。
 毎日が、まるで拷問のようです。
 このまま生きているより、一思いに死んだ方が余程ましです。
 なぜなら、その方が世の中のためだと思うし、

 自分も楽になれるから・・・。
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 このように「自己否定」は、自分の存在を無価値だと感じ、自分自身を責めつづけます。そして毎日のように続く、この地獄のような苦しみに耐えられなくなり、生きる意欲を失ってしまうのです。

 いまの社会がこんなに「生き苦しい」のは、そのような「自己否定」が、世の中に蔓延しているからではないでしょうか?
 いまの社会に本当に必要なのは、「自己否定からの解放」ではないでしょうか?かつて自己否定に苦しんだ経験から・・

私はそのように強く感じてしまうのです。

                * * * * *

 ところで、自己否定から解放されるために、

 いちばん必要なことは何でしょうか?
 それを私は、自己否定に苦しみながら色々と考えつづけました。

 そして結局、
 自分は、「何かの存在」に受け入れられている。
 自分は、「何かの存在」から生きることが認められている。
 自分は、「何かの存在」によって、生きることが許されている。
 だから自分は、このまま生きていて良いのだ!と、
 心の底から実感できることが、いちばんに必要なのだと思いました。

 この「何かの存在」というのは、親や家族、友人、恋人であったり、あるいは学校や会社や世間であったりします。
 そして、
 親に見捨てられたり・・・
 友人から仲間はずれにされたり・・・
 失恋したり・・・
 たいせつな家族と死に別れたり・・・
 不登校になって学校へ行けなくなったり・・・
 リストラで会社を追われたり・・・
 世間から「のけ者」にされたり・・・
 そのようなことが起これば、この「何かの存在」という部分を失って、自己否定に取りつかれてしまうのです。

 人間は、「何かの存在」に自分が受け入れられていると、心の底から実感できてはじめて、本当に安心して生きることが出来るのです。
 この「何かの存在」というのは、自分の存在を認めてくれるもの、自分の価値を認めてくれるもの、自分が生きることを認めてくれるものです。
 それを私は、「自己存在の拠り所」と呼びたいと思います。

 ところで、この「自己存在の拠り所」を、他人(たとえ親といえども、自分以外の人間はすべて他人です)や会社にしていたのでは、とても不安でたまりません。
なぜなら他人や会社は、いつでも自分を見捨てる恐れがあるからです。
 そしてさらには、自分が見捨てられなかった場合でも、死別や会社の倒産などで、「自己存在の拠り所」を失う危険がいつもあるからです。
 事実、現代人の心の不安は、すべてこれが原因であるとさえ言えるのではないでしょうか?

                * * * * *

 ところで、「自己存在の拠り所」を、他人や会社などの不安定なものではなく、「もっと絶対で確実なものにしたい!」と考えるのは、人間として当然のことです。
 実は、そのような悩みは現代にかぎらず、大昔からありました。だから人類は、「神」を考え出したのです。
 「神は絶対」であり、神を心から信じれば、たしかに自己否定から永遠に解放されます。「自己存在の拠り所」として、これ以上に絶対で確実なものはありません。
 しかし、神は見ることも触ることもできないものです。だから現代人に、「神を信じろ!」といきなり言っても、なかなか出来ないのは当然です。

 また、神は見ることも触ることもできないので、神の存在を一心に信じること、つまり「信仰」によってしか、神の存在を実感することができません。ここにも大きな問題があります。
 なぜなら、信仰はえてして盲目的になりやすく、「盲目的な信仰」には危険が伴うからです。それは、現代の宗教が抱えているさまざまな問題(宗教戦争や霊感商法、カルト集団など)を見れば明らかでしょう。

 他人や会社などより、絶対で確実な「自己存在の拠り所」。
 しかも、神のように見たり触ったりできないものでなく、見ることも触ることもできる「自己存在の拠り所」。
 それが、いまの社会では強く求められていると思います。

                 * * * * *

 私は、そのような「自己存在の拠り所」として、「地球庵」というものを考えています。
 地球庵を一言でいえば、「地球のすべての生命を含む、地球の生態系」です
 突然にこう言えば、みなさんは戸惑われるかも知れません。
 そして、「なぜ地球の生態系が、自己存在の拠り所なのか?」という疑問が起こり、「まるで新興宗教のようだ!」と、怪しく思われるかも知れませんネ。

 しかし最近は、地球環境やエコロジー(生態学)の話が、世間に広く知られるようになりました。そして、地球環境や生態系のバランスが、人類の幸福にとって大切であると、多くの人々に理解されています。
 だから「地球庵」の考え方は、そんなに怪しいものではなく、みなさんにも納得して頂けるものと思います。
 「地球庵」の説明と、地球庵が「自己存在の拠り所」となる理由を、これからお話して行きたいと思います。もうすこし我慢して、おつき合いください。

 「地球庵」は、細菌、プランクトン、昆虫、植物、動物、人間を含めた、地球のすべての生命から出来ています。
 そして、これらすべての生命は、いろいろな関係で一つにつながり、
「一つの生命維持システム」
を作っています。この生命維持システムが「地球庵」なのです。

 たとえば植物は、二酸化炭素から酸素を作ります。逆に動物は、酸素を吸って二酸化炭素をだします。そして動物のだした二酸化炭素は、ふたたび植物に使われます。このように、植物と動物はつながっています。

 また「食物連鎖」では、植物が草食動物に食べられ、草食動物が肉食動物に食べられます。また逆に、動物のフンや死体は、虫や細菌によって分解され、植物の肥料になります。このように食物連鎖は、すべての生命を一つに結びつけているのです。

 また「共生関係」では、植物が昆虫に蜜をあたえ、その代わりに昆虫が植物の花粉を運ぶことなどがあります。植物といえども、単独では生きて行けません。昆虫が存在することにより、植物は繁殖が可能になるのです。

 このように、地球のすべての生命がつながり、「一つの生命維持システム」を作っているから、個々の生命は生きて行けるのです。この生命維持システム、つまり「地球庵」が存在しなければ、個々の生命は絶対に生きられません。
 そしてこれは、人間についても言えることです。もちろん、あなたについてもです。

 あなたは、決して、一人だけで生きているのではありません。
 あなたは、他のたくさんの生命に支えられているから、生きることが出来るのです。
 「地球庵」という生命維持システムに組み込まれ、「地球庵」に受け入れられているから、あなたは生きられるのです。
 「地球庵」によって生きることが認められ、生きることを許されているから、あなたは生きることが出来るのです。
 だから「地球庵」は、「自己存在の拠り所」となるのです。

 たとえば今ここで、あなたは呼吸をしていますが、あなたが窒息をしないのは地球庵が酸素をつくっているからです。
 酸素をつくっているのは植物ですが、植物といえども単独では生きて行けません。
微生物や虫や動物を含めた「生命維持システム」に組み込まれているから、植物も生きて行けるのです。だから、酸素をつくっているのは「地球庵」なのです。

 地球庵のまったく存在しない場所・・・ それは、たとえば宇宙空間です。
 そのような場所では、あなたは直ぐに死んでしまいます。たとえ10分といえども、生きることはできません。
 だから、今ここであなたが呼吸できるというその事実。それがまさに、地球庵に受け入れられ、生きることが認められ、生きることが許されていることの、絶対的な証拠なのです。

 今ここで、あなたは、

すぐそこの草木が10分前に作った酸素を吸っているでしょう。
 今ここで、あなたは、

あの山の森が1日前に作った酸素も吸っているでしょう。
 今ここで、あなたは、

南米アマゾンのジャングルが1年前に作った酸素も吸っていることでしょう。
 今ここで、あなたが呼吸できると言うその事実が、そこの草木にも、山の森にも、南米のジャングルにも、あなたの命が支えられていると言うことなのです。

 また、あなたは毎日の食事をしていますが、この毎日の食事も地球庵が与えてくれています。米、麦、野菜などの植物、あるいは豚、牛、魚などの動物、これらすべてが地球庵によって与えられているのです。

 地球庵が存在しなければ、あなたは呼吸をすることも、食事をすることも、絶対にできないのです。
 これはもう、誰がなんと言おうと、絶対に反論のできない事実であり、真実です。
 あなたは、地球のすべての生命に抱かれて生きているのです。
 大生命に抱かれ、受け入れられているから、あなたは生きていられるのです。
 あなたは、地球庵によって生きることを認められ、生きることを許されているから、生きることが出来るのです。
 「地球庵」が存在する以上、あなたは生きていて良いのです。
 それで、なにも問題はありません。
 あなたは、何も気にすることなく安心して生きれば、それでまったく良いのです。


 あなたが生きることを認め、あなたに生きることを許しているのは、あなた自身でも、親でも、家族でも、恋人でも、友人でも、学校でも、会社でも、世間でもありません。そうではなく、「地球庵」なのです。
 また逆に、あなたが今ここで生きているという、まさにその事実が、「地球庵」に受け入れられ、生きることが認められ、生きることが許されている絶対の証拠なのです。

 「地球庵の存在」を実感すれば、多少のいじめに会ったり、リストラに会っても、
「自己存在の拠り所」を失って自己否定に苦しむことが無くなります。
 しかも地球庵は、神のように見たり触ったりできないものでなく、地球の生態系として見ることも触ることもできます。だから地球生命を実感するのに、何かを「信仰」する必要はありません。
 深呼吸を一回するだけで、地球庵の存在は実感できます。
 ご飯を一口食べるだけで、地球庵の存在は実感できます。
 このように地球庵は、いつでも、どこでも、誰にでも、その存在を実感することができるのです。

 人間は、「自己否定」にさえ陥らなければ、結構平気で生きられるものです。とくに日本を含めた先進国ではそうです。発展途上国の難民の子供のような、餓死や凍死の危機など、日本にはまったく存在しないからです。

 生活が豊かになり、衣食住に困らなくなった現代社会・・・。
 それなのに、人間が依然として不幸になっているのは、自己否定に取りつかれるからです。そして自己否定に取りつかれるのは、「自己存在の拠り所」を、他人や会社などの不安定なものにしているからです。
 「自己存在の拠り所」を、もっとしっかりした生命基盤である「地球庵」にすれば、そのような「自己否定の苦しみ」から解放されるのです。

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