「利他の心」 
 人間には、なぜ「利他の心」などというものが存在するのでしょうか?
 人間は利己的にだけ、つまり「自分だけのため」に生きれば、
それで良いのではないでしょうか?
 しかしながら、なぜ人間は自分が損をしてまで、
他人の利益になることをするのでしょうか?

この「利他の心」が起こる理由について考えてみたいと思います。

 利他の心が起こる理由として、まず最初に考えられるのは、
 「他人に親切にすると自分も気持ちが良くなり、他人に意地悪をすると自分も嫌な気持ちになる」と、いうことだと思います。
 他人に親切にすると、喜ばれたり感謝されたりします。

それで自分も良い気持ちになるのです。

反対に他人に意地悪をすると、嫌われたり憎まれたりします。

それで嫌な気持ちになるのです。

 中には、他人に意地悪をすると良い気持ちになったり、他人から親切にされると「人から情けは受けない!」などと言って腹を立てる人もいますが、
そのような人は心のひねくれた人間です。
 そのような人間は、世間の人々から憎まれるので不幸です。

そして本人も、自分の人生に幸福を感じていないと思います。

いつもイライラし、自分でもわけが分からずに腹が立ち、

幸福そうな世間の人々を憎んでいるのではないかと思います。

 ふつう人間は、他人から好かれることを望み、他人から憎まれることを嫌います。だから、人から好かれるようになるために、あるいは人から嫌われないようにするために、「利他の心」が起こるのです。

 「利他の心」が起こる理由としてつぎに考えられるのは、

「情けは人のためならず」というのがあります。これは、
 「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分にもよい報いが来る」とか、「人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」という意味です。この場合は、自分が行った利他の行為が、直接に報われるわけではありません。
 しかし自分が親切にしたその人が、「人に親切にするのは良いことだ!」と実感して今度は別の人を親切にし、そのような「親切の連鎖」が人々の間にめぐりめぐって、いつかは自分も誰かから親切にされることを言っています。
 あるいは、「親切な心」がめぐりめぐって人々の間に浸透すれば、犯罪や争いごとが無くなって社会が平和になり、ひいてはそれが自分の利益にもなっている。と、いうことかも知れません。

 ところで今お話したことは、利他の行為をすれば直接的であれ間接的であれ、
何かしら自分によい報いが返ってくるというものでした。
 しかし私は、「報い」がまったく返らなかったとしても、

「利他の行為」は自分の大きな利益になると考えています。

 それは、利他の行為によって「自分の生命の意義」が与えられ、しかもそれを「永遠のもの」にしてくれるからです。

 自分はいつか必ず死にます。だから「自分だけのため」にしか生きていなければ、自分が死ねば、それですべてが無意味となってしまいます。
 たとえ莫大な財産を築いても、最高の喜びや快楽を得ても、さらには「究極の真理」を悟ったとしても、それらが「自分だけのもの」でしかないならば、自分が死ねばすべて無意味となってしまうのです。それらの財産や喜びや快楽や真理は、最初からこの世に存在しなかったのも同じです。
 自分の行う何らかの行為(思考や行動)が、他の生命にまったく影響を与えなければ、自分がこの世に存在しないのも同然なのです。
 だから、自分が生きて存在することの意義、つまり「自分の生命の意義」を与えてくれるのは「他の生命」なのです。
 
 そして、自分が他の生命に与えた影響(自分の生命の意義)は、他の生命から他の生命につたえられ、自分が死んでも永遠に存在しつづけます。つまり他の生命は、「自分の生命の意義」を永遠に生かしてくれるのです。
 しかしながら、自分が他の生命に「悪い影響」を与えたならば、それは永遠につたわらずに消滅してしまいます。
 なぜなら生命には、良い影響を取り入れ、悪い影響を捨て去ろうとする働きがあるからです。

もしもその逆だったら、生命はとっくの昔に滅んでいたことでしょう。
 この地球に生命が存在し続けるためには、「良い影響」を取り入れてそれを大切に守り、後世につたえて行かなければなりません。そして「悪い影響」は、その場ですぐに捨て去らなければならないのです。
 だから、自分が他の生命に与える「良い影響」だけが・・

永遠に伝わって行くのです。

 他の生命が幸福になるように苦労し、他の生命に「良い影響」を与えること。つまり「利他の行為」は、「自分の生命の意義」を永遠のものにする行為なのです。
 人間は、「いずれ自分は必ず死ぬ!」と、はっきり自覚している生物です。だからこそ、人間には「利他の心」が生じるのです。

 完全に利己的な人間・・・。
「世の中のすべては自分だけのためにある!」という人間は、「死」がとても恐ろしく、耐え難く、やりきれないものに感じるに違いありません。
 それは「自分の死」によって、「自分の生命の意義」も完全に消滅してしまうからなのです。

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